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9月, 2020の投稿を表示しています

浮世絵と傘 および 私の日常傘  umbrellas in Ukiyo-e pictures and my umbrellas

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浮世絵に描かれている傘いろいろ さて、私たちが日常的に使用している「傘」は「笠」と語源を同じくしているようです。 たしかに「かさ」という発音はいっしょですし、用途も似ています。 和傘のもとになる傘は、中国から伝わったと言われています。 伝来の正確な年代は不詳のようです。 平安時代、安土桃山時代と時代を経るにしたがって、制作技術も向上し、よりしっかりとしたものが作られるようになっていきました。 江戸時代に入ると、一般の庶民も使うようになりました。 和傘と洋傘 和傘は竹を使った軸・骨に、柿渋・亜麻仁油・桐油等を使って防水した油紙を貼って作られていました。 洋傘よりも骨の数が断然多く、美しい形状をなしますが、日常使いという点では、取り扱いが難しい部分がありました。 明治時代以降は洋傘の進出により、和傘の割合は大きく減少していくようになりました。 洋傘の歴史はきわめて古く、4000年ほど前にはすでに使用されていたとのことですから、本当に長い歴史をもっていますね。 開閉できる傘は、13世紀頃に作られ、その後、今日のように雨の日に使われる日常生活用具として普及するまでには、ある程度の時間がかかったようです。 それでは、日本の浮世絵に登場する傘を見てみましょう。 (すべての画像は、パブリックドメインから選択されています。) 歌川国貞「梨園侠客伝 御所の五郎蔵 四代目市川小團次」 歌川国貞は、18-19世紀にかけての浮世絵師です。 江戸時代ですね。桜の花びらが、ひらひらと舞い落ちています 小林清親 「海運協(第一銀行雪中)」1876 1876年は、明治9年です。 橋を渡る人のなかには、洋傘の人もいるように見えますがどうでしょうか。 明治6年(1873)に開業した第一銀行の立派な建物が描かれ、人々が傘をさして往来する様子が生き生きと写し出されています。 一番手前の女性の傘に、「岸田」「銀坐」の字が見えますが、これは目薬の店の宣伝らしいということでした。 水野年方 「三十六佳撰 花見 文政頃婦人」1893 1893年は明治26年ですから、明治時代に描かれた作品です。 しかし、絵のテーマは、花見をしている文政頃の婦人ということですので、昔を想って書かれたということですね。 つまり、絵の対象は、 文政時代(1818-18

リサイクルショップ  Goodwill というアメリカのお店 Goodwill in USA

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wahine toa のブラウス Goodwillは社会的企業です Goodwillという名称は、他のいろいろな企業や組織でも使われているので混同しがちですが、ここでお話したいのは、Goodwill Industries という、アメリカおよびカナダを中心としたリサイクルショップショップ経営によって、社会的活動を実施している非営利団体のことです。 アメリカ、カナダのほかに12か国のネットワークを持っているということですが、日本で、Goodwillの支店を見たことがないので、日本にはまだ来ていないのかもしれません。 もし日本にもあればぜひ教えてください。 Goodwillのwebsiteで、12か国がどこなのか探してみたのですが、見つけられませんでした。 Goodwillは、社会的弱者、特に労働市場における弱者に雇用の機会を提供することを使命としています。 Goodwillは、たとえば障害がある、住所を持っていないなど、労働市場においてとかく不利な立場に立たされやすい人々に、競争力を高めるための職業訓練を提供したり、あるいはGoodwill自体の雇用創出によって雇用を提供したりすることで、より安定的で、誇りある市民生活を送れるよう援助することを目的としています。 私の専門は、障害者雇用と社会的企業ですので、まさに研究対象そのものの組織です。 さて、我々市民がその活動を実感できるのは、アメリカ・カナダ各地に存在するGoodwillのリサイクルショップです。 北米には3300店舗あるそうです。 各ショップは、それぞれコミュニティベースの自治組織によってネットワークされています。 店舗そのものは通常のリサイクルショップと変わらないのですが、違うのは仕入れはすべて市民から寄付された服や生活用具で成り立っているという点です。 寄付を希望する市民は車で乗り付けて、ぱっと寄付して帰れます。時間もとらず、気軽に寄付ができる仕組みになっているのです。 ハワイ州オアフ島の店舗によく行きました 私の住んでいたところから比較的行きやすいBeretaniaとKaimukiの2店舗に、結構頻繁に出かけました。 2016年3月 Goodwillの店舗はオアフ島内にもっともっとあるのですが、遠いので、ザ・バスの便が比較的よい上記2店舗によく行ったわけ

崎陽軒シウマイ弁当  しょう油入れの「ひょうちゃん」  The soy sauce container attached to the lunch box is cute

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  横浜と言えば、崎陽軒のシウマイ弁当。そしてしょう油入れです。 俳句会とか、学術シンポジウムなどで、比較的高齢の方々が地方から横浜に集まることがあります。 私も何度か幹事を務めたことがありますが、そうした折り、 「横浜のシウマイはどこで買えるでしょうか」 という質問が、予想外に多いんですね。 はあ。人気あるんだなあと、いまさらながら思うわけです。 私も大阪出張の際は、必ず蓬莱の肉まんを買います。 大阪風に言えば、豚まんです。 しょう油入れの「ひょうちゃん」が溜まっていた。 さて、先日キッチンの抽斗を片付けたところ、シウマイ弁当に付いている(中に入っている)しょう油入れの「ひょうちゃん」が、かなりたくさん溜まっていることに気が付きました。 そこで、同じ柄のものはひとつに絞って、全体の数を減らしたのが、一番上の写真です。 もともとは、この3倍くらいの個数が抽斗にありました。 崎陽軒のホームページに「ひょうちゃん」の歴史が載っていた。 崎陽軒のホームページによりますと、次のような経緯を辿っているようです。 内容を約めたものが以下です。 1955年、白い磁器のしょう油入れに、漫画家の横山隆一氏がたくさんの表情を描いて、「ひょうちゃん」と名前も付けてくださったとのことです。 ここに「ひょうちゃん」の歴史が始まったのです。 それまでは、お弁当はあったのですが、今のようなかわいいしょう油入れではなかったのですね。 1988年には、創業80周年ということで、イラストレーターの原田治氏が新たなひょうちゃんを描き、ひょうちゃんはますます豊かになっていきます。 1996年に、栓がコルクから現在のゴムに変わったそうです。 私の持っているしょう油入れも、コルク栓とゴム栓が混在しています。 1996年が境目だったわけです。今から24年前ですか。 他にも特別な記念バージョンがあるとのことですが、私が持っている中にはないと思います。残念! 手に何も持っていないひょうちゃん   表情がリアルで、楽しい。 スポーツするひょうちゃん テニスと野球ですね。ひょうちゃんはスポーツもします。 左は、緑色の線で描かれています。 右の野球の方は、コルク栓です。しかし、洗ったりしているうちに、入れ替わっているかもしれません。

イタリア  ジノリの食器  お茶のときのセットです  Richard Ginori Italian Fruit

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  今日はジノリの食器をご紹介したいと思います これらの食器は、私の従妹がローマに住んでいた頃に、私が頼んで送ってもらったものです。 もう40年くらい前のことです。 Richard Ginori社は、現在も同様のイタリアン フルーツシリーズを販売しています。 本当に息の長い商品ですね。 日本でももちろん手に入りますが、当時はローマで購入した方がだいぶお安かったので、従妹にお願いしたわけです。 ケーキプレート、ケーキサーバー、砂糖入れ、ミルクピッチャー、ポット 特にお気に入りなのが、ケーキプレート、ケーキサーバー、砂糖入れ、ミルクピッチャーと、ポットです。 フルーツの柄が可愛くて、私の焼いた下手なケーキでも美味しそうに、そしてとても美しく見えますよ。 Richard Ginori社について 1735年に、カルロ・ジノリ侯爵が窯を、フィレンツェ近くの自分の領地に開いたのが始めのようです。 貴族が始めた窯なんですね。 ジノリ侯爵は鉱物学に詳しかったとのことで、自身で土や発色の研究を重ねたとのことです。 何回かの合併を経て、現在イタリア最大の陶磁器メーカーになったそうです。 イタリアン フルーツ イタリアンフルーツ柄は、18世紀、ある貴族がトスカーナに持っていた別荘で使いたいということでテーブルセットを注文し、その時にデザインされました。 それ以来、ずっと続いているわけですね。 ベッキオ ホワイト ジノリのもうひとつ、とても人気のあるシリーズで、白無地のベッキオ ホワイトがあります。 日常生活では、こちらの方が使いやすいですね。 白無地なので、どのようなインテリアにも映りが良いです。 私は、これしかベッキオ ホワイトは持っていませんが、とても気に入って毎日使っています。 ベッキオ ホワイトも機会があれば、買い増ししたいです。 次の記事:崎陽軒シウマイ弁当 しょう油入れのひょうちゃん 前の記事:リトルミッシー

多肉植物 リトルミッシー The succulent plant Little Missy

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  リトルミッシーは多肉らしくない多肉植物 見かけによらず、芯の強いところがあります リトルミッシーは多肉植物としては、葉も肉厚ではなくて、前からどこに保水してるんだろうなと思っていた植物です。 小さな葉っぱが白く縁取りされていて、とても可憐な雰囲気です。 リトルミッシーという可愛い名前がつくのも、頷けます。 でも、見かけによらず、リトルミッシーはとっても強い植物、芯のあるヤツといった感じなんです。 2年前、私が長期不在だった時に雪が降って、完全に雪に覆われてしまったことがありました。 私がハワイ大学に赴任していた頃です。 ハワイからでは、面倒のみようもなく、家人も忙しいので、残念ながら雪だるまのようになり、もうだめかと思われたのです。 が、なんとか頑張って、私の帰国を待っていてくれました。 春に帰国してすぐ、リトルミッシーの悪くなっている部分を取り除き、元気なところだけを抽出して植え替えると、みるみる元気になってきました。 そして1か月もかからずに、復活宣言できるところまで来たのです。 それが2018年の春ですから、今から2年以上前になります。 今年の夏の激しい暑さもなんとか凌ぎました 2020年の7月は、ずっと雨で長い梅雨だなあと、ぶつくさ言っていたのですが、 8月に入ってからは、こんどは猛暑。 連日35℃越えで、たいへんな暑さでした。 「多肉は暑いの好き。水はそれほど必要としない」という、私の勝手な思い込みで、のんびり構えていたのですが、 太陽光が照り付けるような猛烈な暑さは、やはり多肉でも気を付ける必要があるんですね。 8月中旬頃、茶色くなった部分がやや増えてきました。 いつものさわやかな緑が、茶がかってきたのです。 これはいけないと、少し涼しい場所に移動しました。 7月から8月にかけてセミナーを担当したり、そのセミナーがzoomになったので、パワーポイントを準備したり、論文を投稿したりと、猛烈忙しかったので、ちょっと目を離した感じがありました。 ゴールデンウィークを過ぎたころから、直射日光に気を付けて、風通しがよくて明るい、しかし直射日光が当たらないところに移動するのがいいらしいのです。 おかげさまで、今回の茶色化はおおごとにならず、また緑を取り戻しました。 やれやれです。 やっぱり、芯の強いリトルミッシーです。 次の記事:ジノリの食器 R

ロシア: 空港で買ったマトリョーシカ いろいろ  Matryoshka I bought at the Russian airport

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ロシアの空港トランジットの際に購入したマトリョーシカ (A) 日本でも人気のマトリョーシカ。 マトリョーシカ・モチーフの布や、小物もたくさん販売されていますね。 私が今回ご紹介させていただくマトリョーシカたちは、15年ほど前に購入したものです。 もうだいぶ前のことなので、記憶もあいまいですが、ヨーロッパに出かける際、ロシアの空港でトランジットしました。 トランジットですので、空港外に出ることもなく、ただ空港内を移動しただけなのですが、その通路途上にあったショップに、たくさんのマトリョーシカが売られていました。 なんて可愛らしいんだろう! さっそく、いろいろな種類のマトリョーシカをたぶん10セットくらい買ったと思います。 帰国後、お土産として家族や知人にプレゼントしたので、今残っているのは、上記画像のものを含めた3セットだけです。 とても人気があるお土産でした。 (B) (C) (A)のセットが一番大きく、16cm(最大)- 4.5cm(最小)くらいです。 最小のお人形とその次に小さいお人形の表情が、どことなくお茶目で可愛いです。 (B)のセットは、8cm-1.3cmくらいです。 最小のお人形が本当に小さくて、失くしそうです。 ちょっとラメの入ったペイントが施され、おしゃれな感じです。 (C)のセットは、7.5cm-0.7cmくらい。 最小のお人形はさらに小さく、もう表情も読み取れません。 木肌がそのままで、とても素朴な味わいです。 その後、ブローチも欲しくなった たしか、空港のショップでブローチも売られていたのですが、その時は買いませんでした。 帰国後、あのブローチも可愛かったなあと、買わなかったことを残念に思って、オンラインでいろいろ調べると、オンラインショップで買えることが分かりました。 それが、こちらのブローチです。 ひとつひとつ手書きなので、同じタイプでも顔や持っているものがちょっとずつ違います。 このブローチも評判がよく、ずいぶんいろいろな方にプレゼントしました。 マトリョーシカの故郷は日本? 受け売りの話で恐縮ですが、マトリョーシカの起源は日本にあるという説もあるようです。 1900年のパリ万国博覧会で、マトリョーシカ人形は銅メダルを受賞し、それをきっかけに広く知られるようになったとのことです。